またね~

今回もパリの話にお付き合い下さい。
涼みに行ったつもりが暑くて、ちょっと歩くと汗がだらだら。
あちらこちらの店が路上に出したアイスクリーム器が大活躍していました。
私が行く前の週までは涼しくて、上着が必要なほどだったそうです。
丁度ソルド時期で、それでなくても不景気で財布の紐も固くなっているのに、涼しいと余計に夏服の売れ行きも思わしくないところへ、天気の神様の配慮だったのでしょうか、、、

パリ滞在中は友達の家に泊めてもらいました。
アメリカ人夫婦とトイプードル2頭です。
このプードル達が、可愛いんだな~・

こんな格好、柴がやっても様にならないでしょ?
さすが洋犬、ソファーとクッションが似合っています。
ふりふりのクッションの上にちまぁ~っと丸まって、おしゃれ~。

でも、ここだけの話ですが、やたらと愛想の良いプードル達に癒されながら、うちの子達のほうがず~っと個性があって良いわ~なんて、内心で思っていたのでした。
何が何でも柴びいきなもので、、、すみません。

泊まらせてもらった友人宅が前住んでいた家の近くだったので、懐かしい家の近所も歩きました。
いつも行っていたお肉屋さんの前を通ったら、店員のおじさん達ふたりが、あれっという顔をして、「ボンジュール!」って言ってくれました。1年近くも会っていなかったのに!
、、、涙ぐみそうになりました。

また来るからね~、パリ。
À bientôt!

再びパリ

今回はほとんど町の写真は撮らなかったのですが、noriさんのリクエストにより、1枚だけ。
大混雑のエトワール駅です。時間はほぼ真夜中でした。
世界でいちばん観光客の多い町、パリは夜も眠らないのです。

今日の美味しいお店はChez L’Ami Jeanです。
ここもパリに行ったら外せないレストラン。
可愛いシェフのイラストが入った食器類がトレードマークです。
実際のシェフ、ステファンは何か気に入らないことがあったらしく、大声で他のシェフを怒鳴りつけていました。
パリ在住の友達あくびちゃんによれば、シェフはしょっちゅう怒っているんだそうです。
それだけ真剣だってことか、それとも癇癪持ちなだけでしょうか?

昔はセットメニューがあったのに、最近は無いようです。
そこで、今回のアントレはハム、ソシソン、パテの盛り合わせを4人で分け合いました。
豚肉禁止国からの旅人には嬉しいメニューです。

メインもみんなで分けることに。
スズキのグリルとオマールエビです。
ふたつとも調理する前にトレーに乗せて見せに来てくれました。
スズキは”très joli bar(きれいなスズキ)”だよ~というウェイターさんの折り紙つき。
横に見えるのはディルの煮たので、スズキの付け合せです。

「良い素材はそのままであっさりと調理するのがいちばん美味しい」というのの見本のようなメインでした。
もうちょっと凝った料理でも良かったかも~と思ったのですが、秋にまた来いということかな~(笑)

デザートも涼しげ系が占めていました。これは3人分のデザート。
それぞれ、違うものを選びました。せっかくなのでまとめてパチリ。

こちらはこの店の名物デザート、リ・オ・レ。
どう考えても食べきれない量です。
隣のテーブルの男性ばかり3人の観光客はこれだけをとって分けて食べてました。

ご馳走様!

(おまけ)
夜に行った新しいレストラン。
泊まらせてもらっていたアメリカ人の友人の友達で、フォーシーズンホテルに勤めている人のお勧めです。
同じ業界の人のお勧めなら、さぞ美味しかろう~と行ってきました。
全く写真を撮りませんでしたが、美味しかったので住所だけアップしておきます。

Bistro Volnay
8 rue Volney 75002
01 42 61 06 65
http://www.bistrovolnay.fr/

久し振り~!

あれ?いつもと雰囲気の違う写真?って思いました?
うふ~、良くぞ気がついてくれました。
帰って来ました、パリに、、、1週間だけでしたけど。
最大の目的はソルドだったのですが、友達に会って、美味しいものを食べて、町中をぶらぶらして、日本食料品も多少買って、ブックオフも覗いて、と忙しい日々でした。

涼みに行ったつもりだったのですが、30度を越える暑さが続きました。
それで、レストランのメニューも涼しげなものになっていました。
最初はここ、カフェ・コンスタン。いつ行ってもほっとする味が大好きです。
ここなら毎日通っても飽きないかも。

丁度セットメニューのメインがソーセージだったので、普段豚肉が食べられない人は、大急ぎで(別に急ぐ必要は無いのですけど)「あたし、ムニュにする~~~!」と宣言しました。

アントレはガスパチョです。暑い時の定番です。

プラがお待ちかね(!)のソーセージ。手作りのプリプリ。ソーセージの下にはこれも夏メニューの定番、ラタトゥイユ。

デザートはピーチとアイスクリームとクリームの組み合わせでした。

ああ、幸せ。
久し振りのレストラン記事は明日も続きます。

紅海から帰って来ました

海での初めてのダイビングを経験してきました。
何とか無事にPADIオープンウォーターのダイビングライセンスを取得。
これで、晴れてダイバーです~。 、、、まだ怖いけど。
海のきれいさはまあまあといったところでした。
もっと北に行ったところにものすごくきれいなところがあると地元の人に教えてもらったので、次回行くならそちらでと思っています。

行ったのは紅海に面したヤンブー(Yanbu)という町でした。
町の3分の1は、ロイヤル・コミッションという国王直属の組織の管轄下にあり、国の役所とは何の関係もなく、都市計画に基づいて、着々と町が作られていました。
近代的で明るい空港に着いた時から、あら、空気が違う?と思いました。その後、コミッションのメンバーと話をする機会があったのですが、皆新しいの町を作るという仕事に誇りをもっているのが伝わってきました。
絶対君主国ならではやり方ですが、旧来のやり方が行き詰っている場合、こういうのもひとつの方法だな~と感心しました。

ダイビング中は写真どころではなかったので、最終日に行った魚市場の風景でも。
空港に行く途中、午後5時ごろだったので市場は閑散としていました。
やはり朝が賑わうそうです。

緑や青い色の魚、熱帯魚っぽいですが、美味しいんでしょうか、、、

サメもあるよぉ~って、、、遠慮しときます。

ロブスターも冷凍庫から出してきてくれました。
海を歩いて、足で探って、手づかみで採れるのだそうです。
後ろに写っているのはコンク貝を干したもの。

味見させてもらったら、帆立の干物のような良い味~。
朝取り立てで新鮮だし、買いますっ!と興奮していたら、お土産にっていただいてしまいました。
いただいちゃったので言うのではないのですが、本当にサウジ人って親切な人が多いです。

ただいまぁ~

こんなに可愛いボクを置いて行っちゃうの?
本当に行っちゃうの?
ボクを置いていくの?

わ、わ、わ~、そんな目で見ないでよぉ。
罪の意識がドバドバと湧き上がりますが、大輔の顔を見ないようにしてそそくさと出発しました。

砂漠の国に移住して10ヶ月、その間にオマーン、バーレーン、ドバイに行きました。
生活習慣の点で砂漠の国よりはやや日本や欧米に近いとは言うものの、同じアラブ圏です。
女性差別がなく、男女が隔離されることもない普通の生活への渇望がかなり限界に来ていました。

で、アラブ圏を脱出して訪れたのは、この町でした。

バチカン市国にも行ってきました。
イスラム教の中心から、キリスト教の中心へ行ったのか~という意見もありますが、少なくともバチカンは訪れる人にその宗教や生活習慣を押し付けるような事はしませんからね。
イタリア料理を満喫し、普通~の生活を楽しんだ1週間でした。

大輔&姫はおりこうにお留守番していてくれました。
ローマは楽しかったけど、大輔と姫がいなかったのが難点でした。

ディリヤ

2週間ぐらい前の話なのですが、忘れないうちにとアップです。

サウジアラビアは言わずと知れた絶対君主国家です。
王家の名前の“サウド”が国名になっています。
このサウド家の出身地がリヤドにあるディリヤ(Diriyah)という場所です。
長い間放置されていたのですが、今は保存工事中で、ガイドを頼まないと見せてもらえません。
丁度ウチにお客が2名、友達の所にも2名来ていたので、合計8名のグループで、ガイドを雇いました。
暑い時間を避けて、朝の8時に出発です。

サウド家がこの地域の支配者になったのは1744年だそうです。
18世紀と言えば産業革命の時代。
日本では江戸時代で、徳川家重が9代将軍になったのが、この1年後です。

古代の建物のように見えますが、そんなに古いものではありません。
下の写真は住居区です。
地面や壁からの照り返しが暑く、歩くと砂埃がもうもうと立ちます。

こちらは市場だったそうです。広場を建物がぐるっと囲んでいます。
他地域から商人達がやってきて、取引をしました。2階はその商人達の為の宿泊施設でした。
よそ者は町には入れなかったので、市場は住居区の外にあります。

個人的な推測によれば、他の有力で裕福な部族を押しのけてサウド家が王家になったのは、この過酷な環境の生活のお陰です。環境が部族の結束と強さを作り上げたのでしょう。こんなとこ、体力気力がないと住めません~というのが軟弱な一日本人の感想でした(笑)

1818年にはオスマントルコの攻撃を受けて町が焼かれ、一族はリヤドに移り住んだのでした。

砂漠の国にいると景色が砂色ばかりなので、ここでちょっと緑を。

はぁ~。ホッとしますね~。
ツアーの後、近くの農場へお茶をしに連れて行ってもらったのでした。
地面に絨毯を敷いて、その上でアラビアコーヒーや紅茶とデーツ、パンケーキなどの甘い物をいただくのが、サウジ風の正しい(?)お茶風景です。

近くにいた労働者(サウジ人はこういう仕事はしないので、他国からの出稼ぎ者です)がヤシの木登りを披露してくれました。
ロープを木に回して、スルスルとあっという間に上に到達でした。

マダイン・サレ

サウジで唯一の世界文化遺産、マダイン・サレ(Mada’in Saleh)の遺跡に行ってきました。
リヤドからメディナまで飛行機で1時間ちょっと、そしてバスで5時間、アル・ウラ(Al-Ula)という町に着きました。
遺跡はこの町のすぐ近くにあります。
今、飛行場を建設中なので、それが出来ればもっと簡単に行けるようになるはずです。

マダイン・サレには古代ナバテア人の墳墓が残されています。
「インディ・ジョーンズIII」の舞台になったヨルダンのペトラ遺跡、ここに住んでいたのがナバテア人という人達でした。
ナバテア人がはじめて歴史に登場するのは紀元前4世紀の初め頃だそうです。
元々は遊牧民だったのが、ペトラに定住し、高度な灌漑技術を持ち、通商で栄え、商業貴族を中心としたかなり民主的な社会を営んでいました。
マダイン・サレはペトラの後に作られた町で、やはり交易の要地として栄えたようです。
その後、海上貿易が盛んになるにつれて次第に衰退し、紀元100年頃にローマに征服されます。

そのナバテア人が残したのは、こんな墳墓です。
岩を削って作られています。
この辺りの岩は砂岩で、比較的柔らかいのです。

こちらは「ライオンの墓」と呼ばれている墳墓。
素朴なライオンの姿が、なんともユーモラスで可愛いのです。

後ほど詳しい旅レポをアップしたいと思っています。
とりあえず、帰ってきました~のお知らせまで。

キャンプ@砂漠

一昨日、またもや砂嵐に襲われました。

この時、私達は何をしていたのでしょうか?

前回の時は、野外で路上ホッケーの観戦をしていたのですが、
今回は、なんと、

野外でキャンプしてました~(泣)

上の写真の時はまだ良かったのです。
キャンプファイヤーして、満天の星を見ながら野宿。ああ、なんてロマン、、、
のはずが、夜中に砂嵐が襲ってきました。

しかも気温が急激に下がり、寒い、寒い~!
途中で車の中に避難したのですが、結局1時間ぐらいしか眠れませんでした。

朝、日の出とともにそそくさと撤収。

思い出に残る砂漠でキャンプとなりました。
中国では黄砂が降っていると聞きました。
日本でも被害が出ているのでしょうか?
砂にはくれぐれもご注意下さい。

世界の果て

バーレーンに行った日の前日に「世界の果て(the Edge of the World)」に行ってきました。

これは途中にあったコーヒーポットの銅像(?)
別にコーヒー屋が近くにあるわけでもなく、何故これがここにあるのかは謎です。

砂漠を走ること1時間ぐらいで、「世界の果て」に到着。
「世界の果て」って意外と近かったのねぇ。

ここが世界の端っこ、、、のはずはなく、ここから見た景色はこんなのです。

この場所の元々の名前はナントカ崖とか言うらしいです(ナントカの部分は忘れました)が、砂漠好きの外国人達の間の通称が”The Edge of the World”なんだそうです。

崖を登って見ると、さらに景色が雄大になります。

遅いランチを食べて帰途に着きました。

バーレーンF1

バーレーンにF1を見に行ってきました。
レースの途中の給油の禁止という新ルールやシューマッハーの復帰など、話題が多いシーズン開幕戦でした。

会場は既に37℃。
観客も暑いですが、レーサーはもっと暑いのでしょうねぇ。
服には冷却装置が付いているそうですけれど。

会場です。人がまばらなのは決勝レースの前日の予選の前だからです。

これは決勝の日。レーサー達がトラックに乗って登場。

レッドブル・ルノーのセバスチャン・ベッテルがトラブルで脱落する前の、フェラーリのフェルナンド・アロンソと同じくフェラーリのフェリッペ・マッサが2,3位の時の動画です。
目の前を横切っていく人々が邪魔ですが、ご容赦を。
音が大きいので気を付けてください。
会場にいても目の前の部分しか見れないので、結局こんな場面を49回見ていたことになります。
爆音防止に耳栓は必須でした。


サーキット49周の結果、優勝はアロンソの手に。